現代美術にみる身体性としてのテクノロジー


A Study on Technology Including Pysical in Modern Art
Work ; “Inside”

第一章 テクノロジーと20世紀芸術

第三節 機械としての視覚

 ラズロ・モホリ・ナジとともに、両大戦間の機械ヴィジョンのパイオニアとして忘れてはならないのが、マン・レイである。“機械の詩人”ともいわれる。マン・レイの提示する視覚の冒険は、それまでのイメージの概念つまり19世紀的なイメージの意味や機能から逸脱する20世紀自身のニュー・ヴィジョンになったといっていいのではないだろうか。しかしマン・レイの写 真が興味深いのは、こうしたニュー・ヴィジョンの方向へ密着することは決してなかったということである。マン・レイは超越的なまなざしの方へ“人間の眼”を投げ込みながら、あくまで“人間のまなざし”の痕跡や感情でそのイメージを彩 ろうとしていた。そして何よりも重要なのは、マン・レイはひとつの表現や手法に固執することなく、次から次へと自分固有の自由な場所をつくり続けるために、あらゆるものから自己を解放していったということである。

 前にも触れたように、機械は両大戦間におけるアーティストたちの最大のテーマであった。この時代に機械、あるいは機械的な感覚が人々の眼に、心に、身体にあっという間に浸透していった。芸術も当然、こうした大きな波を逃れることはできず、美術のみならず、映画、文学、演劇、ダンス、音楽といったあらゆるジャンルにおいて機械と人間の関係をモチーフにするさまざまな表現が突出してきている。

 つまり人々の感覚に機械の感覚が侵入し、それまでの感覚を大きく変質させていったのだ。マン・レイもまたこのマシーンのオブゼッションに深くとらわれたアーティストであったが、彼の場合、機械は決して人間の感情を一掃するものではなく、この機械を経由することで彼はより根源的な人間の相位 や本質的な人間のエロスの世界を新しい形で神秘性さえ帯びさせて開示することを目指していたのである。1910年代、1920年代に優勢であった機械崇拝は1930年代になると、逆方向へと展開しはじめるそれは心理学的な自動現象とでも呼べるものであり、個々の表面 的な合理的行動や客観性の奥深くに隠された力の動きを指し示すものだった。こうした時期に、シュールレアリスムが浮上してくるのは象徴的な出来事である。シュールレアリストたちは機械にこだわりながら、何とか機械から自由になろうとした。マン・レイもそうしたメンバーの一人であった。

 マン・レイはまさにこの1920年代に台頭しつつあった新しい20世紀感覚、変容する都市空間の中で形作られる、20世紀人の奥に潜む感覚、匿名性に強い関心をそそいだのであり、写 真こそがこの新しい感覚を最もよく吸い取ることのできるメディアであることを知り、この20世紀感覚を吸収すべく実験を重ねていったということができるだろう。

 産業革命以来、19世紀から20世紀にかけて多くの機械論や機械観が語られてきたが、こと自然宇宙との関係に限れば、これらの多くは機械を自然宇宙と対立するものとしてとらえてきた。しかし20世紀初頭から逆に機械を自然宇宙へ到達するための装置とみなす考え方が次々と提示されたり、具体化されたりしていることを忘れてはならないだろう。

 機械に対するこうした新しい視点は、例えば名著『美術史』で有名な美術史家でもあり、医学博士でもあったエリー・フォールの『約束の地を見つめて』の中で、独特な機械論として特に鮮やかに展開されている。

「我々が精神を再び見い出すであろうは、この新しい、そして全的に人間的な律動学によってだ。自称精神主義者たちが超越的手品によって、きわめて専断的に定義された唯物論へと追い詰めて、これほど辱めた機械は、すでに思いもかけぬ 詩学を創りだしてしまっている。そして恐らくはこんなふうに、歴史の流れの中で、人間は、最も具体的なものの観点から超人間的、超自然的な解釈へと、つねに移行してきたのである。思いがけぬ 詩学とは、生成途上にある哲学のことだ。ここで私は、次のことを喚起する必要があるだろうか。つまり機械が、これまでの牧歌的で感傷的なさまざまの古い約束事の寝台の中で眠りこんでいた古い世界を、我々に再び教えていること、そして機械が我々に別 な新しい世界をすでに明らかにしていることである。」

 エリー・フィールのこの言葉の背景には、写真や映画といった当時の機械映像のめまぐるしい技術革命がある。つまり新しい視覚装置と画像解析技術の発展により人々はそれまでにないかたちで視覚情報を受け止め、さまざまなイメージをそれまでとは異なった意味で使うようになっていったのだ。それはマクロやミクロのレベルだけではなく、不可視の領域についてもいえ、赤外線写 真や走査型電子顕微鏡などによって機械は未知の世界を視覚化する方法を生み出続けていた。

 1920年代までは、銀河系が唯一の宇宙だと信じられていたが、写真の黄金時代と呼ばれる1930年代になって、原子やエネルギー波を研究して得られた知識を、望遠鏡や分光器、電波望遠鏡や赤外線フィルムなどの器具に応用することで広大深遠な宇宙が発見されることになる。さらに写 真映像は、物質の変化はどのように起こるか、世界は何からできているのか、生命とは何かといった疑問に向かいはじめ、カメラという機械の眼は動植物の構造、生命維持のプロセス、人間の脳のメカニズムさえも次々と明らかにしていった。正確にいえば、カメラが原子の実在の最初のきっかけを捉えたのは1897年の電子の発見によってだが、これをきっかけに新しい研究や理論が湧きだし現代物理学、科学、天文学、地質学、生命科学、の基礎が固められたのである。20世紀の科学革命は、こうした写 真映像を抜きには成立しえなかったといても過言ではない。そしてその映像は私たち人間自身の概念をもわずかな期間に急速に、根底から変えていったのである。