現代美術にみる身体性としてのテクノロジー
A Study on Technology Including Pysical in Modern Art
Work ; “Inside”
第四章 修了制作報告
第一節 自らの過去における作品の検証
今,私達は時代の大きな転換期に立たされているが,その揺れ動く時代の中で人はその変化に吸収されながらも,時代の担い手としての役割を演じてゆくことになる。ここまでは,現代という時代の中での,アート,テクノロジー,身体それぞれの関わりを論じてきたが、作家として表現活動を行っている自らこそ,表現という手段を適して時代を作ってゆく立場であり,そういった観点からも自らの過去の作品を振り返る必要があるだろう。
大学時代にテクノロジー・アーートという授業を選択したことがきっかけとなり,その影響を受けつつ現在に至るのであるが,私の表現する世界で首尾一貫していえることは,他者とのこころの触れ逢いの手段として作品が存在することである。その作品は,必ずしも最先端のテクノロジーを駆使したものでも,インタラクティブ・アートと定義されるものでもないが,観賞者との精神的なレベルでのコミュニケーションとして,テクノロジーが使用されている。人間の潜在意識に眠る領域を,テクノロジーを介して触発したい,それが表現する際に湧き起こる私の中の衝動であった。つまり自己表現の満足感によるものというより,自らの言葉を作品に託し,無意識に語りかけることを目的とした表現であると言える。
私の選択したテクノロジーとは,決してハイ・テクノロジーと呼へるものではないが,人類の歴史に多大な影響をもたらし,あるときは人の心をいやすことさえする“光”という素材であった.幼少の頃から何気無く光に魅せられて いたが,いつしか光の持つ高い演出効果と心理的効果を生かして表現してゆこ うとする自分と出逢うことになる。つまり,そこではテクノロジーを,無機的 な環境へ追い込むものとしてではなく,より人間的な関係へ人を導くものとし て扱っているといえる。私は大学在学中より制作活動を行い,発表する機会を 得てきたが,このような思想的背景をふまえながら,過去の作品を辿ってゆき たい。
1994年に制作した《地の生》《水の生》《空の生》の3部作は,光と精神的な効果 に着目した初めての試みである。そこに描かれた生物は,上下に仕組まれた光源によって浮かび上がり,種族を越えた生命感を表現している。ここでは,日本人としての自らのアイデンティティを強く意識し,光の扱いに於ても,光と陰が織りなす繊細で微妙な現象を見せるものであった。そして光という単純なテクノロジーが,人間の心に与える影響を実感するきっかけとなった.ここから光を自らの表現手段としてゆくこととなり,さらに心理的効果 を高めるために,時間軸に沿った変化が加わることになる。
「幾ツモノ 時空ヲ越エテ,今 アラワス ソノ姿
ハルカ深い地ノ底二大イナル 生命ノ息吹ヲ感ジル‥・」
・‥“自我”という穀を抜け出して,無意識という領域の中に飛び込んだとき,今まで見えなかったものが見える瞬間がある.そんな時間を感じてもらえたら・・
この文章は,インスタレーンョン《Momentary》を発表した時に,パネルアップしていたものである。ここからも伺えるように,この作品で作られた空間は,観賞者の無意識に働きかけることを全面 に押し出している。大小9つの卵状の物体が,閤の中でそれぞれ発光したり消滅したりと,それとシンクロさせた音響とともにそれぞれのシーンを織りなしてゆく。あるときは静粛に,あるときは何かを予感させるかのように,そしてまたあるときは静かな絶頂期を迎えたかのように表情を変えながら時を刻んでゆく。傍観者は,自分自身の感覚器を通 じてその空間を内部へと取り込み,やがて意識がその空間へと解け込んでゆくことで,そのシーンとの一体感を得ることができるだろう。ここでの光や音,時間は全てコンピューターによって制御されていて,プログラムされた時間軸に沿ってその時々のシーンがつくられていった。 光とともに音と時間が担う役割が,空間に大きな影響を与えるというという ことを徐々に実感し,次に《時の滴》を制作する。月の放つ微妙な光と,月の 満ち欠けにみられるようなゆったりとした時間の流れにインスピレーションを 得たものである。日常生活に於ては,月の存在はあまり認識されることなく見 落とされがちである。 しかし,地球上の生命体は月のサイクルと呼応し,確かにその影響を受けながら存在している。そんな微妙であいまいなものに気を止める瞬間,開けてくるもう一つの世界を,この作品を通 して表現している。 この作品は,曲面によって仕切られた円形のアクリル容器が,ゆっくりと回転することで,その中を水が移動し,その時々の状態により水が織りなす形の変化を見せようとするものである。アクリル容器な中を密閉することにより仕切りの中の空気の量 は一定となり,空気圧により水位が上昇したり下降したりする.4つのアクリル容器は全て同じ形をしているが,それそれの水の量 と回転速度を変え,さらに全体の回転方向を変えることで,見えてくる形や印象の差をはかっている。水はブラックライトに反応する螢光液体を使用し,暗闇に液体部分だけ浮かび上がらせるようにしている.月の持っている周期と,そのゆったりとした時間の流れ,そして明確なものではないが,確かに私達に影響を及ぼしているような事象を,作品のゆったりした動きと掛け合わせている。そのゆったりとした時間の中に身をうずめることによって,日常生活で忘れていた感覚をひとときでも感じてもらいたいと,提案したものであった。
《時の滴》と同年に制作された《隠れた次元》も,回転するアクリル容器の 中の水で見せる作品である.この作品は,両面から見ることができ,SIDE −Bからは,並べられた8本のプリズム樺を通 してのビジュアルのため,万華 鏡のような効果がえられる。光の持つ屈折性を取り入れたものであるが,《時 の滴》同様,水の織りなす現蒙とゆったりした時間を追求したものだ。光を受 ける側の素材を研究した結果,水という素材は非常に多くの可能性を秘めたも のであり,さらに人間にとっての水の存在意義についてもとても興味深いもの だった。体内の大部分は水分によって占められ,何よりも,胎児の時代10ケ 月の間は誰もが羊水の中で成長してゆくのだ。そんな誰もがもつ水の記憶に揺 さぶりをかける,ということが新たな表現手段としての水の存在であった。 水によって光の効果を最大限に引き出された作品が《うつろい》であった。 この作品は,現象や技術をみせるという行為を越えて,ストレートに人のここ ろに入り込むことに成功した作品ではないかと感じている。 影はあまりにも光呟しく,光は影の一部となる。 外界から受ける刺激と,内部で湧き起こる情動. 言語化された現実と,その以前の混沌とした世界。 どちらも現実で,どちらも虚構でありうるように光と影が共存する。 自らの感覚的スクリーンに投影された光と影は水面 に写し出された像の如く ある時は波紋によづて壊され,また再生され時と共にうつろいゆく。 作品制作時に文章として残したコメントであるが,日本人特有の感性でもあ る,決して単純明解に割り切ることのできない二面性の共存を表現したもので ある。乳白色の水を薄く張り,その水面に向かって構造体の内部からと,外部の上方から,2台のスライドプロジェクターで投影をした。内部に内蔵されたプロジェクターからは,抽象に近いビジュアルが80枚順に投影され,上方のプロジェクターからは,文字の図像が写 し出される。その上方から写し出された像は,水面で反射し周囲の壁で像を結ぶ。さらに水面 に波紋を立てるよう,小型スクリュー が取り付けられている。そこでおこる波紋の影響を受け,壁に写 った像は乱される。
これらの内蔵プロジェクター,外部取り付けプロジェクター,スクリュー3 つの動きをタイマーでプログラムすることにより制御し,時間軸に沿ってそれ ぞれの光と動きを見せる作品である。ここで作られた空間と時間は,光とスク リューによって立てられる水の音と共に,ゆったりと観賞者を取り囲む。ここ で選択された素材は,それぞれが相互に影響し合って人のこころに何かを語り かけることができたのではなかと思う。
そして今回の修了制作の先駆けとなる作品でもある《NAMERICAL VALUE》は,人間の身体と精神についてダイレクトに表現された作品であ るといえる。この作品で表現される空間は,そこに鳴り響く心臓音によって全 て構成されている。壁面に掛けられた多くの電流計の目盛りは,その空間に響 く鼓動に反応し数値を刻んでゆく。その空間の中心にある乳白色の水面には, オシロスコープによって心臓音を波形に変換した映像が,プロジェクターで投 影され,さらにその像は電流計の並ぶ壁面へと反射しそこでまた像を結ぶ。し かし水中に仕組まれたスピーカーは鼓動の振動とともに水面を震わせ,壁面 の 像も波紋となって姿を消す。
眼では決して見ることのできない電気の流れは,連続的な心臓音とともに, 数値化された状態で視覚化され覿賞者を取り囲むこととなる。その空間に足を踏み入れ、その空間と一体化することで人は錯覚するかのようにそのリズムとともに精神が高揚してゆくだろう。
ここまで振り返ってみると,光,水,音,などの様々な素材や技術を用いな がらも,最終的には人を取り囲む空間と時間を創造することを目的としている ことが分かる。観賞者の感覚器を通じて空間を体験することにより,より親密 な関係が得られ,精紳レベルでのコミュニケーションがより強められる。その 中で,効果を高めるためにテクノロジーが存在するのである。作品を通して行 われる作者からの発信は,日本人であり女性であるという自らのアイデンティ ティを生かしたものでありたいと思っている。それは自分に備わった感性であ り,これから迎える新しい時代こそ,その感佳を生かせる場であると予感して いる。