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現代美術にみる身体性としてのテクノロジー


A Study on Technology Including Pysical in Modern Art
Work ; “Inside”

第一章 テクノロジーと20世紀芸術

第四節 電子テクノロジーの影響

 マシンエイジにみられた20世紀前半までは、筋肉の時代だったといえる。テクノロジー、すなわち蒸気機関その他さまざまな機械の発明によって、肉体労働が置換された。ところが20世紀後半になると、私たちはコンピュターを頂点とする電子工学によって、神経の外部でのシュミレーションを享受している状態にある。つまり、神経系のシュミレーションとしてのデジタル技術の革命の時期を迎え、現在のテクノロジーが成立しているのだ。

 このようにテクノロジーという概念が移り変わる時代の中、当然、アートもその影響を受けながら変容を遂げることになる。それを象徴する展覧会が、1968年、MOMAで行われた<マシン/機械時代の終りに>展である。アメリカのマシンエイジの全盛期に行われたこの展覧会は、車輪や翼、スプリングやボールベアリングといった純粋に幾何学的な形態を展示し、それらを新しい時代の美、機能美とみなしたものだった。その中でこの展覧会を企画したフルテンは、産業革命以来多くの人々は、機械がユートピアへの一歩を進めてくれるだろうと大いに期待したのであるが、一方の人々は、機械が人間中心主義的な価値観に反するものであり破壊へ導くものでしかないと考えていて、こういった相対する概念は、この20世紀においても似たような形で残って、美術の中にもその反映を見ることができると述べている。

 <マシン/機械時代の終に>展が興味深いのはその副題からもわかるように、展覧会自体が、<偉大な創造者であると同時に、破壊者でもある、そして生まれて初めてその玉 座を他者に脅かされが始めているという難局を向かえた機械的装置>に捧げられているということだろう。フルテンがこの展覧会を企画したのは、テクノロジーが重大な転換期を迎えていて、人々は機械万能の絶頂期の姿を見せつけられていながら、その一方で人間の肉体の代用品といった作業機械が優位 を保つことができなくなり、代わって脳や神経系の働きを模倣するような、電子工学的、あるいは科学的な試みが重要になってきているという認識のためであった。

 そういった新しいテクノロジーを積極的に取り入れ、エンジニアとアーティストが協力体制を築き本格的な作品制作を行った動きが、EAT(Experiments in Art Technology)の中にみることができる。EATは、 1966年にニューヨークで結成された芸術と技術の統合を目指す、初の本格的な組織であった。1966年末、ニュヨークのアーモリで「ナイン・イヴニングス」と題して 、その成果を披露した。ラウシェンバーグの《オープン・スコア》をはじめ、アレック・ヘイの《草地(Glass Field》,ケージの《ヴァリエーションズ》、スティーブ・バクストンの《物理的事物(Physical Things》など多くのパフォーマンスが、赤外線センサーやカメラ、レーザー光、スライドやテレビ映像によるプロジェクション、電子音楽といった当時の最先端のテクノロジーを動員して行われ、これまでにない表現性と舞台効果 を生んだ。例えば、赤外線センサーを使うことによって生まれる演技者とのインタラクティブな関係が、次世代へのテクノロジー・アートの方向性を示唆したということができるだろう。

 1980年代に入って、テクノロジー・アートはエレクトロニクス・テクノロジーを完全に内部に取り込みアーティストは、単一のメディアではもはや飽き足らなくなった観客に答えるべく、デジタル・テクノロジーとセンサーを駆使してインタラクティビティの高い表現を一斉に探りはじめた。

 ヴァーチャル・リアリティは、産業界での応用よりもいちはやくインタラクティブ・アートへ取り込まれ、多くのテクノロジー・アヴァンギャルドが群がった。ビデオの映像はコンピュター制御によって加工、修正され、アナログからデジタルへの流れが進行し、このテクノロジー情勢を背景に、1980年代のアート&テクノロジーはインタラクティブ・アートが核となっていたのである。 1980年代に入り、コンピュターのパーソナル化と、デジタル通信技術が進行し、メディアは電子化され、それらを統合、制御することが可能となったのである。

 かつて60年代はじめに、マクルーハンはテレビ映像文化を指し、機械技術を超えた電気メディア時代だと宣言したが、1980年代は完全に電子メディアの時代に突入したといえるだろう。電子化された情報はデジタル通 新技術と結び付くことによって、コンピューター・ネットワークの中に取り込まれ、あらゆる情報がインタラクティブに変換できるマルチなメディアとなった。

 1985年に、フランスの哲学者、ジャン=フランソワ・リオタールが中心企画となってポンピドウ・センターで開催された<非物質>展は、高度な情報化社会を思想的に横断する際のキーワードとでもいうでき言葉を、非物質とみなし、視聴覚装置を駆使した空間構成で、情報化社会の中で、素材や肉体や物質といったものがいかに見えなくなりものを生み出す原形や母性さえもがコピーやクローンの概念で置き換えられているか示そうとしたものであった。エレクトロニクス・テクノロジーの発展は、人間を物質や重力の支配から解放して、非物質的な世界へ導くものとして、この展覧会では人工皮膚やコンピューター・グラフィックス、カプセル・ホテルや性転換技術、ホログラムや人工香料といった具体的なサンプルにより提示されていたのである。

 そして、1990年MOMAで開催された<情報美術(インフォメーション・アート)>展は、1934年に開かれた<機械美術(マシーン・アート)>展に対応させたものである。機械美術展は、新しい時代の美を機能美とみなしたものであり、この機能美は、幾何学的で重厚な形態がそれらの部分を成立させている全体の物理的な動き方や方向を象徴しているのにたいし、情報美におけるダイアグラムは実際に稼働するわけではなく、これらがシンボライズするのは見えない電子の流れ、情報の流れや構造になっている。

 従来のテクノロジーが主として人間の身体に関わり、人間の身体を代替するものでり、新しいテクノロジーは人間の脳・神経や意識・無意識に関わり、人間の精神をも代替するものであることは述べてきた。だとすれば美とテクノロジーの関係も当然のように従来の延長線上にあるわけはなく、この変化をダイレクトに受け入れてゆくはずであるだろう。