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現代美術にみる身体性としてのテクノロジー

A Study on Technology Including Pysical in Modern Art
Work ; “Inside”

第一章 テクノロジーと20世紀芸術

第二節 “光”と“動き”の芸術

 人間は本来光の対して根源的な欲求と本能的な指向を持っている。光は、人間の奥底の何かに触れるような精神的な効果 を備えあわせている。それゆえ、ライト・アートは非再現性美術にとっては最適の素材であり、動きを付加することによってその表現のバリエーションは多彩 になり、環境との接点でさらに大きな表現性を有することができた。

 1920年代後半からキネティック・アートの一貫として、白熱電球の点滅による、いわばキネティック・アートが出現し、光を造形素材とするライト・アートの端緒となった。光の表現特性を追求した本格的な作品は、1930年代バウハウスで教鞭をとっていたラースロー・モホリ・ナジによる《光と空間の調節器》である。これはモーターによって回転する金属板、ブレキシグラスに反射・透過する光が、周囲の壁面 に万華鏡のようなパターンを写し出すというものであった。これはクロムメッキで仕上げられ、128個の電球に取り巻かれて自由にコントロールされ、ゆっくりと回転しながら3つの独立した部分から同時に光のプレイを壁に投射するものであった。モホリ・ナジは、光のディスプレイはプリズムや反射を利用したり、光源を動かすなどあらゆる映画の特撮技術をまかなえ、これで映画という限定された時空のを克服できると述べ、実際、彼はこのマシーンを使って彼は映画”光のディスプレイ”も制作している。

 こうして1920年代に、非再現性の彫刻に運動と光という抽象的造形用素が加わり、キネティック・アート、ライト・アートの基盤が形成されたものの、技術的に見れは1920年代は電気モーターやベルトあるいはギア、あるいは白熱電球による人工光などを使ったきわめて単純な運動と光であり、その後はその運動の回帰性や単純な制御性といった制約のためたいした発展はなく、第二次世界大戦をむかえることになる。  戦後、エレクトロニクスによる科学技術は大きな進歩を遂げた。例えば、世界初のコンピュターであるENIACをはじめとして、それに続くコンピュター・グラフィックスによるCADシステムやテレビジョン、ビデオ映像の開発など、先端技術の開発がなされてゆく。

 光の素材は、自然光と人工的に作り出された人工光に分けられるが、それぞれ直接の光源やビームを見せる直接光、他の素材に反射する光の効果 を見る反射光、霧状の物質や液体を透過するときの現象で透過光、屈折光、拡散光などの分散・屈折作用が生じるものなどがある。レンズの回析格子を通 過する光の操作を行ったり、色光を得るために色のゼラチン・フィルターを光源の前にセットするのもライトの前に硫酸紙をかぶせ光を拡散するのもこれに当たる。

 さらに人工の光源は、今世紀初頭にはタングステン・ランプやアーク灯に加えさまざまな種類の光源が登場し、芸術家がライト・アートに目覚める契機を作り出した。1902年水銀灯が発明され、1907年には放電管がプラズマ・アートとして人工的に稲妻状の光軌をつくることが実現した。1915年には商業空間に多大な貢献をするネオン管が発明され、1970年代までライト・アートの中核をなした素材としても多用されてきた。1934年には、グラフィック・ディスプレイにリサージュ曲線を描くことのできるオシロスコープが完成。これは、コンピュター・グラフィックが登場する以前にはエレクトロニクスによる映像表現の先端技術として捉えられた。翌1935年にはアメリカのゼネラル・エレクトリック社によって蛍光灯が完成した 。第二次世界大戦前までに、ブラック・ライト、ナトリウム光、ハロゲン光、赤外線や、紫外線発生器などのライト・アートの新素材が出そろったことになる。  1960年、メイマンによってレーザー光が開発されると、アーティスト達はたちまちこの輝度が高く光束の細いビームを使って、レーザー・ディスプレイやレーザー・アートに仕立ててしまった。また1963年にはレーザー光のコヒーレント性を応用した三次元映像再生技術、ホログラムが開発された。これをアートとして表現したのがホログラフィック・アートである。

 この新しい素材と、これまでライト・アートの短所であった単純な繰り返しに終始してしまう運動にバリエーションと任意性を与えるコントローラーの開発によって、一時期低迷していたライト・アートは、1960年代になって再び脚光を浴びることになる。

 こうして1960年代に、新しいテクノロジーを契機として、20年代のキネティック・アート、ライト・アートがリフレッシュされ、電気テクノロジーから電子テクノロジーへという技術の開発と、それに伴うアーティストの新しい視覚装置の開発が見事な一致を見ることになった。1960年代に一斉に花咲いたテクノロジー・アートは淘汰されながらもビデオ映像、LED、液晶、そしてコンピュター・グラフィックスと発展し、現在のメディア・アートの原点となっている。